我が家の食卓は戦場で、血と涙がまい散る。

安息の場所とは何か?

小さなコミュニティで幸せを追求することが本当の幸せなのか?

答えが出ない。

答えは果てしなく遠くにある気がする。

幸せになりたいのか。不幸せになりたいのか。
どちらかすら定まらない。
定職について、結婚して、子孫を残して、死んでいく。
それが自分にはどうにも幸せには思えないのです。
最先端で人間の無知とか、放漫さとか、不幸せな人々を生み出す根源と戦い続けて、ぼろぼろになって最後は一人で死んでいきたい。そんな人生がすばらしい気がする。

安息の場所は家庭にはない。
家庭への帰属意識など皆無だ。
祖父と祖母は僕が確実に愛している存在だ。でも、その愛は確実に家族へは向いていない。
母が死んでも、父が死んでも、妹がレイプされてぶっ殺されても、
怒り、涙さえ生じないと思う。
だって家庭は自分にとって明らかに他であるから。

帰属意識とは何か?ナショナリズムとは何か?
帰属意識を持つことは真に悪であるのか?
帰属意識は可能か?必要か?
これを永遠に問い続けていくのだと思う。

地球がひとつになるために、乗り越えるべき壁はたくさんある。
理系として、テクノロジーの分野から世界をまとめていきたい。

誰が死んでも一様に悲しい。
誰の想いが死んでも一様に悲しい。
分かり合えないことが何よりも悲しい。
こんな自分が何よりも痛ましい。

結局光の当たる暖かな、安らかな場所では生きていけない自分が人を愛する資格があるのか?
答えは遠くにあって、凄く怖い。
永遠に

届かない。
そんな気がして、
痛みだけが響き渡って、世界を揺らし、離れさせる。
世界から分離して、一人佇む夕暮れに、光をもたらすのは
やはり人間特に友とのふれあいだ。
僕にとっての友人は僕にとっての帰属意識の根源だ。
家庭を超えた存在。
友と家庭ならば確実に家庭を捨てる。
人間のなすべきこととは何か?
それ以前に特殊に、自分のなすべきこととは何か?

捜し求めて

そしていつか

干からびて打ち捨てられるんだろう。