離散性と連続性の邂逅

飲み会飲み会の連続だ・・・。もっと離散的に飲まなければ。
連続性と離散性。
デジタルは嫌いだ。アナログ大好き。
しかし本当に連続的な認識なんて存在するのか。
離散的なものはテクノロジーの進歩と共に身の回りにい溢れている。
しかしテクノロジーを支えるサイエンスの数学の実数、複素数など+解析学は明らかに
連続的なものと無限を扱うものではないのか?
産業革命以前まで人間の文明を退行させてみたい。
不便になるんだろうか?
人間が人間らしく生きるとはどういうことなのか。
人間の認識を超えて科学技術と情報化が進展していく世界において、
これを問うていくのは重要だと思う。
人間が人間らしく生きれるならば、かりに人間らしい生活が定義できたとして話を進めるが、
科学技術の技術の面は進展をやめてもいいと思う。科学は脳内のアソビとして残ればいい。
古今変わらず存在する。
「死は万人に対してただ一度だけ訪れる」
これが打ち破られたとき、次は人間はどう変わっていくのだろうか。
未知の領域に思いを馳せる。
寝て、朝起きるとまた同じ自分である。
単純そうで、不思議な現象。
これがもし、打ち破られたら
朝起きたら、昨日の自分じゃなくなっていた。
それが実現したら、どうなるのだろうか、

兎に角忙しい日々の中でも思惟を続けていくことは重要だと思った。