旅の帰りに

旅行。全体的に楽しかったけれど、いろいろ考え深かった。
いつもそうなのだが、旅行で地方に行くといつもいろいろと考えてしまう。
特に、地方と東京という大都会の差について。
今回は特に四国。
正直。辛かった。
瀬戸大橋で県庁所在地でもある高松でさえ、あまり栄えていなかった。
景気が悪いのもあるのかもしれないが、東京都の歴然とした差を感じた。
下流社会
その括りは全く好きではないが、頭をよぎるのは皮肉にもその言葉ばかり。
捻じれ、切れて、バラバラになっても、心にしがみつこうと吸う歪なイメージ。
純粋に高松はそんなでもないだけなのかとも思ったが、路線図とガイドブックを
見たところ香川県に他に栄えている場所があるとも思えなかった。
スキーで長野に行ったりしたときもそうだが、
いつも自分はあまりにも環境的に恵まれているのだと感じてしまう。
世界の中でも、ほぼトップクラスに恵まれた環境。
そんな環境で育った自分が、環境的に恵まれていない世界中の他人に対して
どうふるまっていけばいいというのか、大都会の人間としてのアイデンティティ
みるみるうちに崩壊していく。
まあ別に大都会に住むことが良いことだと言っているわけではない。都会での暮らしは
常にストレスが伴うものだろう。

それでも、あまりにも物質的に恵まれている。
 もう一つ、いつも思うこと。
自分の理想に、平穏な生活が無いということ。
確かに自分には俗に言う「田舎」と言うものと「帰省」という概念が存在しない。何せ祖母は新宿に住んでいるのだから
田んぼの中、もしくは山の中の「おばあちゃん」の家、に幻想を抱いている。
田舎に行って、大自然の中で虫をとって遊んで、大きな虫を取って変えるとおばあちゃんにほめられ、それからささやかな
夕食の団欒が始まる。そして、縁側でスイカを食べながら、素晴らしい星空を仰ぐ。
所詮。幻想に過ぎない。
自分はあまりにも平穏を嫌っている。いや、もしかすると望んでいるのかもしれない。
闘争。
果てしない闘争の人生を、密かに願っている気がする。
金。
早く金への執着を捨てて、世にはびこる金の亡者達を地の底に叩き落してやりたい。
下克上。体制、権力へのアンチテーゼ。
結局はそんなガキ臭い概念で自分が成り立っていることに反吐が出そうになる。
それでも、自分の本質がアンチで成り立っているような気がして、
嗚呼。何となく胸が苦しい
この時代に、この場所に生まれ、
自分は理系へと進む。
世界を知るには、まだあまりにも視野が狭すぎる。
どうしようもない。
いまさらのアイデンティティのゆらぎ。
でも、
神は死んでいる。宗教にはすがらない。

ということで、だれか一緒にとんだいの宗教系サークル潰しに行きませんか?
ついでに犯罪被害者の家族の個人情報をばら撒いて被害者家族を叩き潰しましょう
被害者っていう存在自体が犯罪